「食べること」への興味が減って、特別な食嗜好が増える-普通に食べるのが難しい時代
管理栄養士養成課程で教員をしていて、他の先生方と話すことは
食に興味がない学生が年々増えている
ということです。
食事や栄養を学ぼうとしていて、管理栄養士という国家資格をとろうとしている学生が、「食に興味がない」ってどういうこと!?
と腑に落ちない気持ちを持っていました。おそらく、若者全体が同様の傾向があるのではないでしょうか。
そんなとき、この本「「食べる」が変わる 「食べる」を変える:豊かな食に殺されないための普通の方法」を読んで、とても納得しました。
著者は、イギリスの著名なフードジャーナリスト。これまでの著書も多くの賞をうけているそうですが、世界中の研究成果や研究者へのインタビュー、資料を駆使しながら展開する著述スタイルを見れば、そうでしょうねと頷きます。
この文字が小さくて分厚い本は、私にとって、この10年いや20年でのベストブックになりました。
冒頭の話に戻ります。
●食は必要なもの、食は重要 という意識の低下
食料の大量生産技術の発展により、世界の多くの人々は飢えたりひもじい思いをすることがなくなりました。(もちろん、そうでない場合もあります)
よって、食物に対して執着する必要ななくなったのです。それは、人々に「食品はあまり重要でない」という認識を(無意識かもしれませんが)もたせます。
食物は「基本的に必要なもの」であったはずですが、「娯楽の対象」となりました。
楽しい外食や、インスタ映えする食品などに夢中になっているのが象徴的ですね。
「食品は常に手に入るもので、重要視するものでない」と認識すると、そのような「価値の低い」ものに、お金を使いたくなくなります。
富裕層は健康に良いものや環境にやさしい食物に多くのお金を使うことができ、貧困層はそれが難しいことは想像できます。
では、富裕国(日本を含む)の中産階級はどうでしょうか。健康のために、価格が高いのにお腹が膨れなかったり家族に人気のない野菜や魚を買うでしょうか。価格は高いけれど適切に飼育された牛肉を選ぶでしょうか。
著者はそれに疑問を呈しています。現代生活においては、食物以外にお金が必要なことがたくさんあり、食物に余分なお金をかけるのは難しいのではないかということです。
●食の選択肢が多すぎるゆえに、戒律的な食べ方を自らに課し「食事制限」をする。
食物が手に入らない、ということが想像できない世の中で、世界中の食品会社が知恵を絞って様々な食品を広告、販売しています。
多すぎる食の選択肢に圧倒され、恐怖を抱き、自ら戒律的な食べ方をする人々が増えています(日本ではそれほど多くないかもしれませんが、スポーツ選手や芸能人などで取り入れている方もいますね)
例えば、このようなものです。
- ヴィーガン(完璧な菜食主義)
- グルテンフリー
- 断食
- アトキンスダイエット(超低炭水化物食)
- ケトンダイエット
- パレオダイエット(旧石器時代食)
- マクロビオティクス
- リデュースタリアン(肉を減らした菜食主義)
- フレキシタリアン(柔軟な菜食主義)
このような食事法は、完璧主義になったり排他的になったりしがちです。
●普通に、いろんなものを満遍なく、健康的に、楽しみながら食べる
著者のメッセージは、「普通に、いろんなものを満遍なく、健康的に、楽しみながら食べる」ということです。
忙しい現代人が手の込んだものを用意するのは難しいが、簡単な料理でもこれが可能ではないかと。
これは、私が普段から考えていることです。
食べることを大切に、品質の良い食品を最低限の調味料と調理でいただく。楽しみながら健康的な食事を「普通に食べる」ことが、いちばんと考えています。
しかし、それが難しい社会背景や、そこへ到達する方策に関するヒントをこの本から見つけました。
食に興味のある人、悩んでいる人、管理栄養士、学生ー皆さんに読んでもらいたい本です。